内田 鎮並(うちだ しげなみ)は、戦国時代の武将。大友氏一族の戸次氏の家臣。
出自
内田氏は相良氏庶流。代々肥後国日渡城主であったが、文亀年間に日渡城没落以降、大友氏の庇護下に入る。
経歴
父・内田鎮次同様、戸次氏の家臣ながら大友氏の合力を受け、父や兄弟と共に大友義鎮(宗麟)より偏諱を受ける。鑑連の代で家督を相続したが、宝満山九嶺において鑑連の矢面に立って討ち死にを遂げた。
なお『柳河藩享保八年藩士系図・下』の内田氏系図では『永禄年中』とあるのみで具体的な死亡年は不明。
子鎮高は鑑連から『昔上於源義経幕下佐藤次信、今於鑑連下内田民部鎮並、古今之貮比者也』の判物を与えられた。
脚注
参考文献
- 柳川市史編集委員会編『柳川歴史資料集成第二集 柳河藩享保八年藩士系図・上』(福岡県柳川市、1996年発行)
- 柳川市史編集委員会編『柳川歴史資料集成第二集 柳河藩享保八年藩士系図・下』(福岡県柳川市、1997年3月発行)




