保科 正景(ほしな まさかげ)は、上総飯野藩の第2代藩主。

元和2年(1616年)9月5日、初代藩主・保科正貞の長男として生まれる。正貞は廃嫡されて流浪した経緯があったため、はじめは小出吉英の三男・保科正英が養子として迎えられ、正景には家督相続権が無かった。しかし正貞が藩主として復帰すると世子となり、寛文元年(1661年)に父の死去で跡を継ぐこととなった。このとき、正英に2000石を分知している。

寛文5年(1665年)に大坂加番に任じられ、寛文10年(1670年)に日光祭礼奉行となる。延宝5年(1677年)に大坂定番になり、丹波国内で5000石を加増されて2万石となった。貞享3年(1686年)10月、四男の正賢に家督を譲って隠居し、元禄13年(1700年)5月16日に藩邸にて死去した。享年85。

系譜

父母

  • 保科正貞(父)
  • 方安院 ー 上原氏、側室(母)

正室

  • 翠松院 ー 松平忠国の娘

子女

  • 保科正賢(四男)生母は翠松院(正室)
  • 九鬼隆常継室
  • 戸田氏胤正室

長男と次男と三男は早世



保科正益・節子の墓

正景の墓案内板 To KAZUSA

保科正之 高光産業株式会社

音羽野間道場

~石灯篭~