由良 貞繁(ゆら さだしげ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・旗本。旗本由良家2代当主。

略歴

天正2年(1574年)、由良国繁の子として誕生。天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐の際、父・国繁は北条氏に脅迫されてやむなく小田原城に籠もることを余儀なくされたが、祖母の妙印尼が貞繁を大将として、総勢200の兵を集め上野国・松井田城を攻撃していた前田利家の陣へと参陣しこれに従軍した。この活躍で妙印尼は常陸国牛久5000石を与えられ、辛うじて由良家は滅亡を免れた。安堵された領地は国繁が継いだ。

その後、貞繁は徳川家康に仕え、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際は永井直勝の部隊に属して出陣した。大坂の陣では土井利勝に従って従軍したが、夏の陣では鴫野口の戦いで負傷したという。

子の代から高家となり、明治維新まで名を列した。

脚注


由良成繁:概要

由良|ART street

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インタビュー 06 由良海運株式会社 採用サイト

2015年9月1日 由良守生オフィシャルホームページ